銀杏会館 (大阪大学医学部学友会館・医療情報センター)

沿革


大阪大学医学部の移転に伴って、かつての学友会(現「(社)医学振興銀杏会」)が寄贈した中之島の記念館は消滅することになった。学友会では医学部の貴重な史料を展示・保存し、教職員と本会会員が交流できる新たな場所として、医学部移転先の吹田キャンパス内に学友会館を建設し、これを大学に寄贈することを決定し、1988年7月16日、当時の学友会役員で構成する学友会館建設委員会を設立し、1989年2月1日から募金を開始した。藤野 恒三郎 建設委員長(理事長)の、「記念館より見劣りするものにはしない」という熱意のもとに、 募金は 7億円を目標とした。 その後、大学と文部省との折衝によって、建設・寄贈の内諾も得られ、建設場所も内定した。

1989年1月、(株)三和銀行(現「UFJ銀行」)と阪急電鉄(株)から医学部あてに、医療情報の発信地となるような建物(総工費15億円)を寄贈したいとの申し出がなされた。医学部では この申し出を検討した結果、建物の利用目的などに学友会館と共通する点が多いこと、医学部周辺に空地が乏しく、小さい建物を幾つも建てることは敷地の無駄遣いになること、維持・管理の面からも建造物の数は少ないほうが良いことなどの理由から、学友会館とドッキングさせる案が生まれ、学友会、三和銀行、阪急電鉄(以下、寄付者三者という)も これを了承し、会館の名称は「学友会館・医療情報センター」となった 。(その後、同会館を親しみやすいものとするために大学のシンボルである銀杏を取り入れて「銀杏会館」という愛称で呼ぶことになる。)

寄付者三者は、早速、安井設計事務所に設計を依頼した。一方、大学当局は、再度文部省と折衝して承認を得、1993年11月10日 起工式が行われ、同年12月28日から着工された。1994年10月25日 上棟式を迎え、1995年3月31日に完成して医学部へ寄贈される。

会館の敷地面積は 996.025 平方メートル、建築面積 1,478.83 平方メートル、建築延面積 3,856.59 平方メートルで、1階のロビー壁面には寄付者全員の氏名を刻んだ銘板が取り付けられている。

なお、医学部の吹田地区への新築移転を記念して、サントリー(株)から 関玄達作 "Point d'Appui"、ニール・テトコウスキー 作 "Kinetic Form No.20" の 2点の現代彫刻が寄贈され、前者は会館の二階玄関に、後者は三階に設置される。


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